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仙台を拠点に活動するNPO法人アートワークショップすんぷちょの活動ブログです。

演劇をあらゆる子に!年齢や障害に合わせた作品を支えるもの~英国老舗劇団オイリーカートワークショップ報告~

イギリスからパワフルかつチャーミングなシックスティーオーバーの素敵な芸術家夫妻が来日して、半月が経ちました。劇団オイリーカートの芸術監督ティム氏と美術担当のアマンダ女史。幼児から様々な障害を持つ子ども達のために35年に渡って演劇作品を創り、優しく寄り添ってきた二人から学んだことは何だったのか。
セミナーやワークショップでは知りえること全てが驚きと納得そして感動でしたが、少し時間が経った今、改めて整理し、そして伝えていく、ここ仙台で形にしていくプレッシャーと楽しみの狭間に立っています。 (おいかわたかこ/2016.11.8)

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「“寄り添う”ことは“演劇を楽しむ”ことへの探求」 


オイリーカートには明確なポリシーがあります。「あらゆる類の子ど もたちに、あらゆる類の演劇」を提供すること。この短い言葉の裏側には緻密で繊細、驚くべき量の準備と、寄り添う優しさが伴っていることを、今回知ることができました。
それは時に、障害の種類によって作品の内容を変えるというもの。重度重複障害、自閉症スペクトラム学習障害、年齢は?
子ども達一人一人に適した興味がある。オイリーカートにとって「寄り添う」ことは単に優しく付き添うということではなく、積極的に働きかけて「演劇を楽しむ!」ことを誰に対しても探求していくことでした。



「多感覚演劇、見る、聞く、嗅ぐ、味をみる」
 

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オイリーカートの作品は主に五感に働きかけるパフォーマンスです。彼らはこれを「多感覚演劇」と呼びます。実際に3日間のワークショップではありとあらゆる種類の素材や道具、身近な道具を使って、自分の五感を探求していくことから始まりました。肌で感じる霧吹きの感覚や、料理用ボウルを叩く音、羽の柔らかさ、薄い布から透けてみえる折り紙の色、懐中電灯で作る影の美しさ、どれもとてもシンプルな体験なのですが、改めて試してみるととても新鮮で、面白いものでした。
ワークショップではこれらを組み合わせて、5歳以下の障害を持つ子ども達向けのパフォーマンスを作り、最終日には子ども達の前で発表するという目的が設定されていました。

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ワークショップでは2人1チームになって5分ほどのパフォーマンスを創作しました。
私のチームではビニール傘に白い紙を貼り付けてスクリーンにし、外側から懐中電灯をあてて、内側からその光を子ども達と一緒に見てみるというアイディアを使いました。光は蛍のようにスクリーンを飛び、また動物の目にもなったりします。傘をアイテムに選んだことで、雨をテーマにしよう、雨の音は楽器で表現してみよう、霧吹きで水の冷たい感触を味わえたらいいのではないか、、などなどアイディアのスイッチが入ります。この感覚、子どもの頃身の回りのもので遊びを工夫していた感覚にとても似ています。ピーターブルックの「Play is Play」がまさにこのことだと実感する瞬間です。

15分程度でパフォーマンスを創ってみたら、早速参加者同士でプレビューをします。
ティムから私達のチームには「たくさんの音を同時に鳴らしたり、動きと音を同時に行うのではなく、それらが重ならないように工夫しよう。音を出したら、一度止まって、そして動く。子ども達は何が起きているのか、理解するのに時間がかかる場合がある、もっと全体的にゆっくり時間をかけて」というアドバイスがありました。

実際に創作してみると、あれもこれもとアイディアをたくさん盛り込みがちです。それを短い時間に収めようとするので、音や動きが同時進行してしまうのでした。しかし、学習障害などの知的障害がある子どもほど、目の前で起きていることを理解するプロセスに時間がかかります。そのためには1つ1つの動きに時間をかけ、アイディアとアイディアの間には「ブレスポーズ」という深呼吸して静寂を生み出し、興奮を収める「間」を取り込むことが重要だと学びました。

構造はシンプルに、でもそれが一番難しい。
今回のワークショップの参加者の感想にもその実感が表れていました。

「プレーヤーになると何か伝えなきゃ、関わらなきゃって、思いがちだけど、深く届いたときにはコミュニケーションは生まれるのかなと。“やらなきゃ”が先行しすぎると余計な動きが生まれる、相手の様子をキチンとみることが大事。」
 

「準備は氷山の一角」 

 

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創作だけでなく、上演に向けてのプロデュースや制作段階でも、様々な準備のアイディアが実践されていました。セミナーで紹介されたのは「ソーシャルストーリー」というアイテムです。
これは12ページほどのパンフレットで、登場人物や作品内容が主に写真で紹介されています。
「こんな衣装を着た人が出てくるよ!」
「この人はこんな楽器で音を出すよ!」
など、まるで声が聞こえてきそうな俳優たちの表情と共に、少ない文字とアイコンで作品世界に親しむことができるようになっています。
主に自閉症スペクトラムの子ども達にとって、先を見通せないこと、終わりが見えないことは「不安」を抱かせてしまったり、新しい人に会うことや、見慣れない場所に行くことが怖いと感じてしまうことが多いのだそう。それを解消するのがソーシャルストーリーです。また観劇中にもシーンの展開が書いてあるアイテムを渡すことで、作品の終わりが来ることを伝えておくことも、不安を取り除く手段となっていました。ティムは「これから楽しいことが始まるよ」ということを伝えることが、社会的な関わり合いが苦手な子でも楽しむきかっけになると話していました。

もう一つ、例えば劇場で公演をする場合、そこで働く案内スタッフにもコスチュームを着てもらい、事前に多くの情報を共有してチームに巻き込むということや、劇場の外のロビーにも舞台美術の一部や登場人物を配置して、待っている間から演劇空間に触れてもらうというものでした。
この準備にたっぷり時間をかけ、子ども達と関係性を築いていくプロセスが、あらゆる子ども達に本当に意味で演劇を楽しんでもらうことの最大のポイントなのだと思いました。
コミュニケーションは演劇が始まるずっと前から始まっているということです。美術監督であるアマンダは、見えない準備の部分を「氷山の一角」と説明していました。

 

「探求するためのフォーカス」 

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オイリーカートの創作において特筆すべきは、1回あたりの観客が少人数であり、前述したように障害の種類などによって対象も限定しているということです。
極端な例で言えば、ハイドロセラピープールというセラピー用の特殊なプールの中で行うパフォーマンスの1回あたりの観客は2人。セミナーで拝見した映像には、子どもの他に付き添いの先生、そして俳優がいました。また、プールサイドではインドネシアガムランアボリジニのディジリドゥなど民族的な低音楽器が演奏され、プールの中では長低音ボイスの俳優が、自分の胸に浮かんだ子どもの足をつけて、歌いかけます。

聴覚が弱い子どもにとって、低い音の振動は足の裏から身体を伝わって頭まで届きます。通常の音楽ではコミュニケーションがとりにく子どもであっても、少し方法を変えれば可能になるのです。
また麻痺や重複障害などにより、身体運動が制限されている子どもにとって、水の中での動きは通常とは異なる感覚をもたらします。俳優達は暖かい水の中に、そっと子ども達を浮かべ、子どもの名前を織りこんだ詩を優しく歌いかけます。水の中にも仕込まれた照明が暖かく包み込み、まさに“美しい”の一言。これを1日に8セッション、16人の子どもに提供するのです。

オイリーカートのパフォーマンスでは1人の俳優が1人の観客に働きかけるというスタンスがほとんどです。そのためとても俳優はとても近い距離で子ども達に接します。
自ら動かすことができる身体が少ない子どもほど、息遣いや視線、ほんの少し動かせる筋肉の動きにリアクションが表現されます。俳優達はそれを見逃さず、何が好きなのか、どのアイテムに反応するのかを見極めていくのです。準備したアイテムの全てが響くわけではありません。素直な子ども達は全く反応せず、走り回り、部屋から出て行くこともあります。(ちなみに部屋から出ていった子ども達が落ち着くためのスペースも用意しているそう)
でも俳優達は彼らが反応するものを見つけるまでオファーし続ける。準備だけでなく、上演中にも絶え間ない探求が行われているのです。「演じるより、応える」とティムが話したように、俳優は通常の演劇とは異なる在り方が求められるのです。

対象者をフォーカスすることは、1人1人を演劇の非日常世界へ誘うために、必要不可欠といえます。
それは社会的マイノリティーを本当の意味で排除しない、誰もが芸術を楽しむ権利を守るということなのです。

 

「活動を支えてきた想い、そしてこれから私達がすべきこと」 

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今から35年前、英国で3人の芸術家が始めたこの活動は、すぐ受け入れられるものではなかったといいます。ティムは設立当初の周囲の言葉を、「そんな幼い子どものための演劇?そんなの無理だ」「集中できないし」「すぐ母親のもとへ走っていってしまう」と、振り返ります。
また始めは、パフォーマンスエリアに観客席が向いていて、区切られた空間になっている、いわゆる額縁舞台の形式をとっており、子どもがパフォーマンスエリアに入ってこないようロープを張ったこともあったそう。
それからの試行錯誤や探求については前述した通りです。決してビジネスとして成り立たない活動を、地道に伝え続け、寄付を募り、多額の助成を受けてきたといいます。
そして2011年芸術監督であるティムは、エリザベス女王から勲章を得ました。
それらの道のりを支えていたものは「子どもが好きだから」というシンプルな想いでした。

翻って日本では、どうか?最近では障害者差別解消法が施行や、パラリンピックに向けた文化政策の中でも障害者芸術への期待が高まりなど、障害者と芸術を取り巻く環境は変わりつつあるのかもしれません。また幼い子どものために著名なオーケストラがコンサートを開催したり、全国各地でも児童劇団が地道な活動を続けています。
しかし、オイリーカートから学んだ「対象をフォーカスし、より深く届く芸術体験」を実践する例は、決して多くありません。受け入れることと、本当の意味で伝える・伝わることは違うのです。

生で観た演劇作品が、聴いた音楽が、大きな感動をもたらし、その後の人生にも深く影響を及ぼす体験は、多くの人にあるのではないでしょうか?
障害を持った子どもや幼い子どもにとって、たとえ正確な記憶に残らなくても、何か暖かなものに包まれた心地よさ、歌いかける声の優しさ、光の美しさは、彼らの深く奥に届くはずです。そういう演劇がもっと必要だと思います。

オイリーカートの学びを共有した者として、スタートラインに立った今、走り始める用意をしなければなりません。時間をかけて、でもどんな時でも“楽しむ”ことを忘れずに。

「自分が心の底から楽しいと自信を持つことが、子どもが楽しむ一歩」
ティムが教えてくれたことの一つです。



※オイリーカートのホームページでは作品の動画や写真、レビューのほか、文中に出てきたソーシャルストーリーもご覧になれます。ぜひチェックしてみてください。またYoutubeではたくさんの動画を公開しています。
http://www.oilycart.org.uk/